空白

始まり 6

 カーテンの隙間から朝日が差し込む。サエは蒲団を抱きかかえるようにまだ眠っている。何時頃帰ってきたのか覚えていない。光があったところに目をやる。何やら壁に写真が何枚もピンで刺してある。大衆演劇の写真のようだ。優男が番傘を広げていて小ぶりの女が寄り添っている。
「それは1番目の父。隣にいるのが母よ。この時はうちは3歳」
「旅回りの役者だったんだね?」
「そういう記憶はあるね」
 サエは思い切りカーテンを開けて胡坐を組む。
「母は悪い女なの。と言うよりセックス魔だったわ。劇場ごとに男を作って、ついに1番目を置いて駆け落ち。それから7人も父ができた。その写真は最初の父。一番いい思い出がある」
「兄弟は?」
「もう子供はいらないと母は中絶していた。よっぽどを嫌っていたみたい」
「なぜ今独りで?」
「10歳の時に家出をしたの。その時に助けてくれたのがボン。イサムと同じようにあの高架下のトンネルで段ボールに包まっていた。風邪をひいて動けないうちをあのリヤカーでやぶ医者に運んでくれた。それからしばらくあの女将の店で住み込みの皿洗いをした」
「同じリヤカー仲間だな」
「でもないの。これもいずれ話すよ」
「謎多き女だね」
「下の喫茶店でモーニングを食べようよ。ボンも来ている」












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始まり 5

「ここがうちの部屋や」
 ずいぶん通りを奥に入ってゆく。
「泊めてくれるのか?」
「ああ、これも行きがかりや。蒲団は旅館からもろて来た。辛抱しいや」
 卓袱台を挟んで蒲団が二つ並んでいる。
「言うとくけど、夜中に乗っかってくるようなまねしたら追い出すからね。それとトイレと風呂に入る時は絶対ノックすること」
 姉に言われたような妙な気持ちだ。どう見てもボンより若く見える。
「金はないよ」
「分かってる。ちゃんと控えてる。そのうちに仕事は私が見つけてきてやる。当分はこの瓶に入っている金を使っていいよ」
と言いながら鏡を見ながら化粧を始める。
 私はどんどん綺麗になって行く少女に見とれる。これなら20歳には見える。
「どこに勤めている?」
「カラオケバー。客と寝る奴もいるけど、うちを同じ目でみやんで。そうそう夕方の6時から11時までそこにいる。休みは交代で1週間に一度。ちょっとおっちゃんしばらく後ろ向いてえな」
 どうもここで着替えているようだ。
「おっちゃんと言うのもパッとしないな。こちらもお婆ん臭くなるわ。イサムと言うのはどうや?」
「名前も覚えてないからそれでいいけど。イサムって思いつき?」
「違うわ。でももっと親しくなったら話す」
 そう言って私の体を正面に戻す。
「別人だなあ」
 格子模様のオレンジのスカートに白い秋物のセーター。思ったより胸が出ている。ハンドバックから部屋の鍵を卓袱台に置く。







始まり 4

 少女はお構いなしに複雑な路地を抜けていく。添え木を当てられた左手を肩からぶら下げてよたよた追いかける。
「まずは昼飯」
と言って暖簾を潜る。
 50歳過ぎの女将が無言でビールを抜いてコップを2つカウンターに置く。少女は無造作におかずをガラス棚から持って来て並べる。
「どうや?頭に沁みるか?」
「いや、美味しい」
 暖簾から例の坊主頭が覗いてビール箱と日本酒を交互にカウンターに運び込む。
「ボン、退院したよ」
 無言でボンもカウンターに掛けて食事をする。
「ここはボンの親父の女の店よ。本妻は酒屋の番をしていて、女が3人飲み屋をしてる。ボンはここの女将さんが一番好きだ」
「ペラペラ喋るなよ」
「喋ったる。これでもボンは頭がいいんや。親父の手前あほの様な振りしとるがな。高校3年の夜間生や」
「なら君は?」
「こんなところで歳聞くな。20歳以上だろうが?」
「到底見えないな?」
「またゆっくり話をするわ」
 ビールの飲みっぷりは充分20歳以上だ。
「みんなサエと呼んでいる」
 サエかあ。








始まり 3

 寝すぎたせいか目が冴えて朝まで起きていた。
 それで布団に潜ったまま微妙に振動していた正体を見た。小柄な全身痣だらけの30歳前後に見える女だ。ここでは女男お構いなしに診察が始まる。後の二人はまだ眠っているようだ。
 浴衣を脱がされた女は全裸になって背中を向けている。白衣の背中が私の目の前に来て茶色の薬を塗り始める。
「傷口に熱を持っている。膿むと厄介だ。これで何回になる?」
「5度目です」
「いい加減にあの男と別れたら。このままでは体が持たんぞ」
「撮影が始まるともう気が行ってしまうのです」
「だが男は撮影が終わるとまた遊び回るのだろ?あの男にはそんな女が何人もいるらしいな。隣の兄ちゃんがあんたの写っている写真集を持ってきた」
 女は前に向き直って針の跡と充血した乳房を見せる。やぶ医者は慣れたように女をひっくり返すと尻の穴を覗きこみ治療を始める。
「相当ぶっ太いものを入れたな。完全に脱肛になっている」
 いつの間にか少女が階段を上がってきて、女の姿に全く無関心に私のベットの横に丸椅子を運んで来て座る。
「この街では背広は似合わない。古着だけと合いそうなのがあったので買ってきた。やぶ医者が気が付いたと知らせてきた。出て行けと言うことよ。もう歩けるのか?」
 背中に目があるようにやぶ医者が答える。
「記憶はないが歩けるさ」
「じゃあ今から出ていく」
「支払いは?」
「ツケで私が払う。歩けたらすぐに出ないと悪い病気をうつされるからな」
 どうも私は少女のテンポについていけない。








始まり 2

 長い眠りから覚めた。
 四人部屋の窓際のベットに寝かされている。汚れた窓ガラスの向こうに片隅だけ通天閣が見える。窓際に小さな瓶にコスモスが1本風に揺れている。その先にくたびれた白衣の背中が見える。
「その花は彼女が活けたよ」
 やぶ医者。そういう少女の声が耳元に残っている。
「もうここに来て丸3日になる。初めての目覚めだ。彼女は毎日ここに来て1時間ほど座って帰る。さっき帰ったところだ。夕暮れになると仕事に行くようだね」
「彼女は何をしているのですか?」
「それはじっくり君が聞くべきだな」
 隣ベットに黒髪の女が珍しそうに私を見つめている。
「それとこの病院には正式に患者を泊める施設がない。明らかに仮に預かっているだけだ。男も女もないさ。ここは行き倒れがいるか。喧嘩で担ぎ込まれたものか。梅毒のものか。それと君は寝たきりだったから、おしめをつけている。それを替えてくれたのも彼女だ。恥ずかしいか?それなら正常だな」
 隣の女がくすっと笑いをこらえた。
「名前は?」
「・・・」
「やはりな。一時的か永久にか記憶を失ったな。頭部の打ちどころが悪かった。7針縫った。左腕は手首と指が2本折れている。そう着ていた背広は彼女が持って帰った。今来ているパジャマも彼女が買ってきて着せ替えた」
 しっかり少女の顔は覚えている。だがぶつかる前の記憶が失われている。
「先生上げるぞ」
 野太い男の声がして1階からして階段の軋む音がする。大きな頭が現れて若い男を軽々持ち上げて上がってくる。
「入口に置いてくれ。手当は済んだが腹を刺されている。チンピラやくざだが常連さ。これで満室だな」
 そう言われてもう一つのベットを見る。
 布団をかぶったままだが微かに動いている。







 
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学生時代に書きためたノートの埃を払って万年筆の文字を打ち直し始めた2作目です。この作品は未完で今回はなんとしても完成したいです。

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